アドラー心理学で持ってはいけないと否定される承認欲求ですが、これは相手の期待に応える人生は自分の人生ではないとい理由です。ただ、人間の本能であると言う人もある承認欲求であり、特にビジネスではクライアントの期待に応える必要があります。
承認欲求が否定される理由
承認欲求は人間の本能だから捨てられないのでしょうか?
ベストセラー「嫌われる勇気」という本で有名になったアルフレッド・アドラーという心理学者は、承認欲求をいうのを完全否定しています。
改めて承認欲求とは、他人から好かれたい、認められたい、尊敬されたい、という欲望のことです。
ちなみに、SNSのいいねを気にすることも承認欲求によるものです。
アドラー心理学では、この承認欲求を持つことを否定しています。
持ってはいけないと言いきっています。
別にアドラーさんの考えに従う必要はないのですが、ただ、なぜ否定しているかを知るとなるほどと思えるはずです。
それは、承認欲求を持つというのは、他人の期待に応えることと同義だからです。
つまり、承認欲求を持ち続けるということは、他人の期待に応え続けることになるのです。
そして、これって自分を否定していませんかということです。
これでは、もはや自分の人生ではないわけですので、自由に自分らしく生きられない状態を続けることになります。
これが、アドラーさんが承認欲求を否定する理由です。
承認欲求は本能なのか?
承認欲求は人間の本能だという人もいます。
昔、大昔、人は1人では生きられませんでした、なぜなら1人では外敵から身を守れなかったからです。
そのため、生き残るためには、集団の中にいることが絶対条件だった訳です。
そして、集団に居続けるためには、自分の存在意義を示す必要がありました。
そのためには、周りから承認される必要があったわけです。
逆に、集団から承認されないとお払い箱になる可能性があり、それは死に直結する恐怖だったということです。
つまり、承認欲求は、他人から承認されないことへの恐怖を避ける欲求であり、なので恐怖を避けるのは人間の本能というわけです。
そして、本能であるが故に、どんなに努力しても捨てられないという考えになるということのようです。
ただ、現代社会、少なくとも日本では、全ての集団から排除されても外敵の攻撃によって死に至る可能性はまずありえません。
それでも、可能性は低いでしょうが、その人が属している全ての集団から排除されるとしたならば、経済的に追い込まれる可能性はあります。
ところが、そんな状況になっても国に属している限りは法律によって経済的には保護されます。
つまり、承認欲求を捨てても、理屈の上では、命の危険という恐怖を感じる必要はないことになります。
経済的には、集団の中で存在意義を示す必要はないはずです。
そうは言っても現代社会は複雑ですし、集団からの排除されること、どちらかと言うと精神面での方がキツいかもしれないです。
精神を病んで自殺とかもありえますね。
それよりも、何よりも、理屈なんか関係なく、もう既に私たちのDNAに刻まれた本能だから捨てられないという話もあります。
こんな感じで、議論としては結論は出しにくい命題なんです。
ただ、私の結論としては、捨てられるかどうかはどうでもよいと考えています。
捨てようと思って生きるだけで十分だと思うのです。
なぜなら、それが自分らくし自由に生きるための指針になるからです。
ビジネスでも承認欲求はいらない
でも、ビジネスの場合は承認欲求は必要に感じるかもしれません。
ビジネスとは、極論すれば価値の交換と言えます。
相手に価値を感じてもらうためには、相手の期待に応える必要があります。
そして、承認されないと仕事を失う可能性があり、経済的に追い込まれることが予想できます。
そう考えると、ビジネスで承認欲求を捨てるのは無理なのではいうことになります。
これは困った問題です。
ビジネスこそ、自分らしく自由に生きられなければやる意味がないからです。
ここでアドラー心理学での”課題の分離”という考えが訳に立ちそうです。
例えば、提供した仕事結果に対して、相手が満足しなかったとします。
ここで、課題の分離の考え方におけるマジックワードとも言えるベストな質問を使います。
この質問は覚えておいてもらって、常に課題の分離ができているかどうかのチェックに使うといいと思います。
「それは誰の課題ですか?」です。
相手があなたの仕事が質が低いと感じたのは、あなたの課題でしょうか?
違います。
相手の感情は、相手の課題であってこちらからはコントロールできないのです。
私たちができることは、相手に満足してもらえるように、自分なりにベストな仕事をすることだけです。
よく仕事は自己満足じゃ済まないと言われますが、実は自己満足しかできないのが真実です。
なぜなら、仕事の価値を判断するのは相手の課題だからです。
そのように考えられると、仕事においても承認欲求を捨てることができるのです。
もちろん、相手の期待に応えようと努力するのは問題ないです。
ただ、期待に応えられるかどうかは、こちらからはコントロールできないということだけです。
私たちにできるのは、頂く価値、具体的にはお金でしょうが、それに見合った自分にできるベストの仕事をするだけです。
こちらでコントロールできるのは、クライアントの要望を把握してベストな努力をするまで、それ以上は何もできないということです。
もちろん、これは理想です。
私も常にビジネスにおいては、承認欲求と戦っています。
ただ、この考え方をベースにして、承認欲求を捨てる方向で行動していると、徐々に力が抜けて自由になっていけていることを感じられます。
そういう意味では、クレームへの対応については、自分の仕事の内容に落ち度がないという確信があれば必要以上の補填は必要ありません。
必要以上に、卑下する必要もないし、しっかり話し合えばいいだけです。
そういう意味では、コミュニケーションからは逃げない方がいいです。